今どうなってるの?!東大阪
 東大阪市でおきている様々な事柄で、「どうなっているの?!」を独自に取材。
市政情報、地域の情報を皆様に提供している地域密着型情報配信サイトです。
トップページ ホットなニュース 知っ得 市内情報 ふるさと東大阪 鳩まめ瓦版 動画ニュース
元気の素 オススメの店 おしゃべりコーナー 

ふるさと東大阪2012年11月28日掲載





 
 河内平野は、大和川付替えによって大きく変りました。秋が深まりゆく中、昔流れていた分流の吉田川跡をたどり、花園駅前から今米の川中邸まで歩きました。


旧大和川とは・・・?

   付替えによる新田開発大和川付替え300周年記念事業実行委員会資料より
 大和川付替え前は、河内平野に、玉櫛川(玉串川)と久宝寺川長瀬川)の大きな川が流れていました。付替えによって川床が田畑として開墾されます。(新田開発)
 いまでも東大阪には、大和川が流れていた跡や、新田開発ゆかりの地名が残されています。
 
 今回、
暗越(くらがりごえ)奈良街道倶楽部主催のまち歩き企画に同行し、実地に取材しました。


※付替え:1704年(宝永元年)
 
 今回歩く道は、旧玉櫛川の二つの分流のうち、東へ流れる吉田川跡を北へたどります。この川跡は川中新田となっています。終着地は、大和川付替えに功績のあった中甚兵衛ゆかりの川中邸です。


出発地は、旧玉櫛川の分岐点・・・花園駅前

 11月18日(日)は晴天に恵まれました。参加者は20数名。暗越奈良街道倶楽部の構成団体であるまち・むら文化研究会(代表:杉山三記雄さん)が運営し、同会の佐藤啓二さんがガイドします。
 出発は、花園駅前です。玉櫛川が西は菱江川、東は吉田川へと分岐していた地点です。

                     地図クリック:拡大
     “堤の上”を体感 

 花園駅北側の花園商店街(ラボモール)は、旧吉田川の左岸の堤の上に位置します。旧地図にも、このあたりは市塲(いちば)と書かれており、昔から栄えたようです。
 商店街を北に向いて歩くと、右側の道は急な下り道になっています。堤の上にあったことが体感できる場所です。



 途中、地図に載る吉田春日神社に立ち寄りました。江戸時代の中期(1720年・享保5年)に社殿が建てられた記録があります。現在の社殿は、明治期に枚岡神社に合祀されたあと、復社したもの。
 最近は、近鉄花園ラグビー場を氏子にもち、
ラグビー神社とも称されます。ラグビー関係者の参拝も多いようです。
 
     
     左岸の堤の上には・・・

 吉田川の左岸にあたるところに賽の神(さいのかみ)が祀られていました。小さな石の鳥居がなければ、見逃してしまいそうな石の祠(ほこら)です。歯神(はがみ)さんとも呼ばれ、旅人や村の安全を守ります。
 この場所は、吉田川の堤が切れた
(決壊)跡との言い伝えがあり、堤防を守る願いもこめているのでしょう。


 同じく左岸にあった吉田墓地に珍しいものがありました。墓地は、ラグビー場の西側の、道ひとつへだてたところ。そこに小さな自然石の石碑があります。“芭蕉”という字が彫られているそうです。
 芭蕉といえば、かの有名な俳人
松尾芭蕉です。門人が師をしのんで供養のため建てました。暗越奈良街道をよく往来した芭蕉にふさわしい場所です。
 
生駒山の青い山肌に、赤や黄色の紅葉がきれい映えて見えます。


 ※松尾芭蕉(1644~1694):江戸時代前期に活躍   した俳諧師。俳聖と称えられる。


暗越奈良街道の唯一の宿場・・・旧松原宿



                                       地図クリック:拡大

 すこし北へ歩くと、大阪枚岡奈良線との交差点です。歩道橋の上から東の方角を見ると生駒山の全景が見えます。まっすぐ行くと、暗峠への道です。このあたりは、大阪枚岡奈良線と旧暗越奈良街道が近くで並行します。
 歩道橋をわたったところが
松原で、しばらく旧街道を歩きます。


  クリック:旅籠の図 松原宿景観保存会製作
 松原は、江戸前期に幕府が宿場として定めたところ。以来、明治期まで松原宿として栄えました。暗越えに便利で、西の吉田川と東の恩智川(おんちがわ)の両方の水運を利用できる要衝。鉄道の発達で、しだいに旅籠(はたご)は衰退していきました。
 今は、往時の様子を記録に残そうと、
松原宿景観保存会が活動しています。
        ※往時の旅籠 左写真クリック

 道路には今でも街道の道しるべが残されています。彫られた字は、左 大坂道右 なら いせ道 と読めます。
 その昔、人々は自分の足だけををたよりに、遠いところまで移動しました。道しるべは、先人の生活の息吹を静かに物語ってくれます。



                        地図クリック:拡大

かつて河内湖に面するところ・・・ 大津神社


 さらに北へ進むと、地図の古水走(こみずはい)あたりに式内社の大津神社があリます。ここは、大和川付替えよりはるか昔、河内湖の水際でした。大きな港があったと考えられています。大津神社の名はそこからの由来です。
 また、水走
(みずはい)という地名も、このあたりを支配した豪族の水走氏(みずはやし)からきています。
 当時の土地のようすを想像してみるのも、まち歩きの楽しみです。

中甚兵衛ゆかりの・・・今米・川中邸


     暗越奈良街道倶楽部を代表して挨拶する  大阪商業大学教授 初谷 勇さん

 大津神社を出て、中央大通りを北へ渡ると今米です。終着地の川中邸に近づき、屋敷林がこんもりと見えます。
 南隣の今米公園には
、中甚兵衛の顕彰碑が建っています。
 大阪人にとって忘れることのできない郷土の偉人です。
 

 到着した川中邸では、当主の川中熈子(ひろこ)さんから、大和川付替えや屋敷の変遷などの貴重な話を伺いました。市街化の中、屋敷の管理に努力されている様子がわかりました。

 娘さんの川中知子(もとこ)さんに屋敷林を案内してもらいました。
 初めて訪問した人は、これほどの緑が残されていることに驚いていました。
 川中邸では、12月15日(土)に、第四回
美杜里乃屋・愉会(ゆかい)※が開催されると聞きました。


 美杜里乃屋(みどりのや) 愉会 ←クリック



まち歩きの感想文←クリック

   取材を終えて

 今回のまち歩きは、天気に恵まれました。史跡見学ばかりでなく、秋の風情を堪能できました。終わってみて、知らないことばかりだったと痛感します。普段何気なく通り過ぎているところにも歴史が息づいていました。
 貴重な機会を提供していただいた暗越奈良街道倶楽部や まち・むら文化研究会 ならびに見学させていただいた川中家に感謝いたします。


  ルポ:はなの ののののはな&楢よしき

              
            参考資料:まち・むら文化研究会 提供資料
                 東大阪市の歴史と文化財  東大阪市教育委員会発行

                   ガイドブック2012 暗越奈良街道  読書館書房 ←詳細 クリック

 
 ご意見・ご感想をお願いします。 一番下をクリック ↓

トップページに戻る



Copyright donatteruno All right reserved.