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2010年4月4日掲載
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少し前から、E地域の第二寝屋川沿いに、「桃の花がきれいに咲いているらしい」と、噂に聞いていた。「だれが、どのように咲かせているのだろう」と、興味をもっていた。
※写真の多くは、マウスポインタで触れると変化します。
スライドショーは、コンピューターの環境によっては、お見苦しくなります。 |
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取材のチャンス
おりしも、3月28日(日)に、東大阪観光協会が、当地の“ももの花祭り”に合わせて、町歩きイベントをするというではないか。さっそく同行取材することにして、JR東大阪線高井田中央駅へ。
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※写真中央は、ガイド役の東大阪物産観光まちづくりセンター事業部顧問、成尾セツ子さん。
このイベントには、楠根リージョンセンター企画運営委員会と、ももの花祭り実行委員会が協力。
まちづくり支援課の職員や、ちょこっとボランテイア“ちょこボラ”の市民が安全対策や誘導にあたっていた。
E地域の地図 ←クリック
市教育委員会編 東大阪市文化財ガイドマップより
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花の真っ盛り
第二寝屋川沿いの、桃の花は、今まさに満開。100名を超える参加者からは、感嘆の声が上がる。
あちこちで、桃の花をバックに記念写真を撮る光景が見られた。 |
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“ももの花祭り”は、楠根小学校を会場にして行われており、運動場には、おどろくほどの数の人々が参加していた。
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疑問をとく
この会場で、この町と、桃の花とのかかわりについて知る機会が訪れた。説明してくれたのは、楠根リージョンセンター稲田桃専門委員の大石直彦さん。大石さんたちは、“桃の花咲くふるさとづくり”をめざしている。 |
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河内名所図会の一部 観光協会配布資料より
クリック:拡大 |
昔は桃源郷
大石さんによれば、そもそもこのあたりは、江戸時代に“稲田桃”の生産地として、中国の桃源郷になぞらえられるほどの風光明媚な土地だったという。ところが、明治期に淀川の氾濫で、多くの桃の木が枯死してしまった。
以降、生産の重点が木綿栽培に移行したり、中国系の桃に押されたりして、日本の自生種である稲田桃はこの地から姿を消すことに。
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地域の宝を復活
地域の宝物の喪失を惜しむ大石さんらは、2001年に、楠根リージョンセンター企画運営委員会の事業として、“稲田桃再生栽培プロジェクト”を発足させる。
日下の井上家や、森河内の戸山家にかろうじて残されていた稲田桃の種を譲り受けたり、移植したりしながら、コツコツと地域に殖やしていった。
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写真:小ぶりで先のとがった稲田桃
稲田桃再生栽培プロジェクトの資料より |
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春事は、復活した桃の花の下で |
子どもたちの遊べるコーナーがいっぱい
安全パトロール隊の車に乗って喜ぶ場面も |
その結果今では、稲田桃は、まちづくりのシンボルとなっている。
“春事”とは、農村で、春の一日、花を愛でながら過ごす昔からの行事だ。この町では、“春ごと”は、“ももの花祭り”として、地域住民が憩う春の祭典として再生されることになった。もちろんその主役の座には地域の宝である桃の花がすわる。
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まちづくりを楽しく
祭りを盛り上げようと、楠根リージョンセンター “ももの広場”の企画運営委員会と、ももの花祭り実行委員会を中心に、地域の自治会、小学校をはじめ、地域の各団体が力を合わせていた。 |
地域の人が運営する屋台があちこちに
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アトラクションも盛りだくさん
デキシーランドジャズのプロの妙技 |
東大阪市消費者協会の展示と、かるた・すごろくコーナーや、石切参道のアンテナショップの出張販売も。 |
花も実もあるプロジェクト 進行中 |
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会場では、稲田桃の実でつくった“桃ジャム”の試食コーナーもあり、桃の実の活用を模索する動きが感じられた。景観とともに、産業化、商業化は検討されているのだろうか。高齢者が活躍できる場を広げてほしいものだ。 |
まち歩きをしていて感じたことがある。地域の文化財や、住民が守る景観と組み合わせた“まちおこし”へと発展する可能性と、道の狭さを逆手にとる発想の必要性だ。
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稲田八幡宮の大イチョウを前に
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観音禅寺にある“桃源門”の額 |
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イベントの帰りに、第二寝屋川沿いの土手に、桃の苗木が植えられているのを見つけた。大阪府寝屋川水系改修工営所と協同のアドプト・リバー計画が進んでいる。“ももの花咲くふるさとづくり”は、着々と進行している印象を受けた。 |
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町歩きのあと、主催者に感謝の言葉が多数あったようだ。近くに住んでいるが、桃の花の咲いている様子を見るのは初めてで感激したというものや、明日、孫をつれてもう一度訪れたいといった声も寄せられたそうである。私も、この場をかりて、今回の観光協会主催の町歩き企画に感謝!
レポート:楢よしき
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