2012年9月5日掲載
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辻子谷から市街地 & 近鉄石切駅前 |
生駒西麓では、かって水車を利用した産業が活発でした。電気の普及で急速に衰えましたが、今もその伝統を引き継ぐ製薬・製粉業が健在です。辻子谷(ずしだに)にある製薬会社の一つである「小西製薬」を訪ねることにしました。
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音川 & 道標 寶山寺 三十六丁の文字 |
水車郷がありました
昭和初期、生駒西麓には100輌以上の水車が回っていたそうです。水車は、江戸時代から延々と製粉・漢方薬・伸線工業などに利用されてきました。電気が普及すると急速に数を減らしてしまいました。
音川(おとがわ)沿いに栄えた石切地区の辻子谷(ずしだに)※でも、最盛期は40輌を超えたそうです。今は現役の水車はなくなってしまいました。
※音川沿いの谷で、そこを通る道は、江戸時代から宝山
寺に参る道として大いに利用されました。 |
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復元された大きな水車 & ミニチュア水車の杵・石臼
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しかし、往時の姿を語り継ぐため、地元有志で構成する「昭楠会(しょうなんかい)」が中心となり、東大阪市地域まちづくり活動助成事業の指定を受けて、水車が復元されています。昔の辻子谷の雰囲気を味わうことのできる貴重なスポットです。 |
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漢方薬の香りが漂う
音川沿いのけわしい道を登っていくと、漢方薬特有の香りがあたりに漂っています。ここがお目当ての「小西製薬」です。
事務所で小西秀和社長からお話を聞くことが出来ました。 |
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江戸時代中期から
江戸時代の中頃、創業者小西嘉平が水車を利用して、製粉や河内木綿の油絞りの仕事を始めました。以降、小西家と水車の関係は連綿と続いたようです。大正の初期に、分家となった小西金次郎が和漢薬の粉末製造に乗り出し、基礎が築かれました。二代目小西保が株式会社化をはかり、今の「小西製薬株式会社」となりました。
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三代目の小西秀和社長 |
子どものころの記憶
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牛車 写真:kk-ネットより |
小西さんが子どものころは、辻子谷には水車がいくつもありました。道修町(どしょうまち)※との往来には牛車も使われていました。台風の時は、水量が増し、水車が激しく回ります。水車を守るため、水路を切り換えなければいけません。小学生の小西さんは、弟といっしょに雨風の中を作業に出かけました。
※薬種問屋街として古くから栄える。 |
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今は、モーターを動力源にして稼動する“一本胴搗き” & 辻子谷工場
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“一本胴搗き”を活かす |
道修町で漢方薬の勉強をした小西さんは、父親に水車を残すよう献言しますが、時代の趨勢で叶いませんでした。最後の水車が停まったのは1982年。小西さんは、近代的な工場経営を目指しながら、辻子谷工場に残された“一本胴撞き(いっぽん・どうつき)”の設備を活かす道を選びます。作業効率は格段に劣りますが、処理熱で香りや薬効を損なうことがありません。高速機械ではできない「ちり粉」という超微粉末にも大きな役割があります。今では、品質にこだわる企業からの委託が続いているようです。
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石臼に入った原料が杵で撞かれる
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本格的な薬湯の「延寿湯温泉」&健康補助食品 |
健康に貢献
高井田にも最新技術の工場をもつ小西製薬では、自社ブランド「花扇印(はなおうぎしるし)」で、医療用医薬品・一般用医薬品をはじめ、医薬部外品・化粧品や健康補助食品も製造販売しています。
お風呂に入れて薬湯にする「延寿湯温泉」は、長年の漢方の経験を活かした本格的なものです。最近は、足湯にも活用されていると聞きました。
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「ちょうど、最後の水車が停止した年に生まれました」と、語るのは小西秀治さん(営業部長)。四代目の修行中です。辻子谷工場を案内していただきました。緑に囲まれ、清浄な空気に恵まれた辻子谷で、伝統製法と、最新技術を融合したものづくりへの挑戦が続きます。
小西製薬ホームページ←クリック
レポ:楢よしき |
小西秀治(ひでじ)さん & 連続バッチ式殺菌装置 |
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<動画>現役でがんばる一本胴搗き |
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