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2008年10月2日掲載
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先日、「小さい秋見つけた」の記事の中で、日下新池のほとりに生えるヒトモトススキを取り上げました。
これについて「もう少し詳しく」とのご要望がありましたので、この機会に”どんな植物”で、”市の天然記念物に指定されるわけはなぜか”について詳しく紹介します。
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ヒトモトススキという名から、イネ科のススキの仲間のように思われますが、見比べてみるとずいぶん雰囲気が違います。
それもそのはず、ヒトモトススキはカヤツリグサ科の仲間です。
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カヤツリグサ科のヒトモトススキ |
イネ科のススキ |
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牧野植物図鑑で調べてみると、ヒトモトは”一本”で、一株から多数の葉を出す形態からの命名だといいます。
別名はシシキリガヤ(猪切ガヤ)で、いのししの体を切るほど強靭な葉にするどい小刺があることからだそうです。しかし、ヒトモトススキそのものは、特に珍しい植物ではないというのです。
ウィキペディア(インターネットのフリー百科事典)で調べると、その分布は広く、中国、インド、オーストラリアまで。日本では、関東南部から沖縄までの海岸近くに普通に生えているといいます。
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どこでも見られるヒトモトススキですが、ではなぜ日下新池にひっそりと生育するヒトモトススキが東大阪の天然記念物の指定をうけることになったのでしょう?
そこには、自生するこの場所ならではの秘密がありました。 |
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図鑑には、この植物は、海岸近くに生えると書いてあります。ところが、日下新池は山の中。左の写真から、日下新池と河内平野の位置関係がわかります。
大阪湾は、はるか遠くです。ヒトモトススキは、海岸から移ってきたのではなく、海岸の方が後退してこの場所に取り残されました。
ヒトモトススキはこの場所で生き続け、結果として昔の海岸の位置を示す指標となり、その学術的価値が市に認められたのです。
先に紹介したウィキペディアのヒトモトススキの項目には東大阪市の天然記念物であることが書かれています。 |
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ヒトモトススキの項
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眼下の河地平野。太古の昔にはこの見渡す限りに海が広がり、その海には鯨やイルカが泳ぎ、人々は丸木舟を漕ぎ出し漁にいそしんでいたことでしょう。
夕暮れともなれば、真っ赤な夕日が海に沈みゆくのが見えたにちがいありません。
当時、このあたりには渚が広がり、ヒトモトススキの群落が繁茂して、ヒトが容易に入り込めぬ空間を形成していたのではないでしょうか。
日下の現地に行けば、生き残ったヒトモトススキは、「ここまで海があったよ」と私たちに教え、遠い遠い昔のイメージを強烈に想起させてくれるでしょう。
花期は8〜10月
近鉄石切駅下車 北10分 「日下新池」 |
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楢 よしき 通信員 |
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