2009年2月26日掲載
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奈良時代の天皇から一般の人びとまでの歌を集めた万葉集。
これに歌われた植物を万葉植物と呼んでいます。
鑑賞のための花から実用的な植物、現在では雑草とされているものまでさまざまです。
私たちが住む東大阪でも見られる万葉植物を順にご紹介します。
一般に“萬葉集”の文字を使いますが、ここでは万葉集で表記します。
花の名のひらがなは万葉名、カタカナは現代名です。 |
(酒野レポーター) |
まつ(マツ)マツ科
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マツは、私たちに最も身近な植物の一つで、日本の美しい自然を形づくる主な樹木でもあります。クロマツ(海岸部に自生)とアカマツ(内陸部に自生)が身近に見られますが、その他、山地に自生し、庭に植えられるゴヨウマツもあります。クロマツは雄松、アカマツは雌松、ゴヨウマツは姫小松とも呼ばれます。
万葉集には77首のマツの歌があります。ただ「松」と表現されるもののほか、浜松・山松・島松など生えている場所にちなんだものや、若松・小松・老松・千代松などのように樹齢を表す場合があります。どれも、マツが人間生活と深く関わりがあることを暗示させます。常に緑を失わないその姿は、古くから好まれ、絵画の題材や衣服の模様や紋章にと、さまざまに活用されています。日本庭園や、街道の並木になくてはならない樹種でもありました。たいまつを漢字で「松明」と書くのも、樹脂の多いマツが利用された名残りでしょう。
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アカマツ |
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クロマツ |
*画面をクリックすると樹皮が見られます
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伝説の背景にもよく出てきます。羽衣伝説で天女が羽衣を“松の枝”にかけたのは有名な話です。マツは、寒さに耐えて緑を保つ性質から、古くは清廉潔白や長寿のシンボルとされたり、神が天から降りてくる場所ともされていました。
万葉集の時代には、その霊力にあやかって旅路の無事を祈ったり、幸運を祈ったりするまじないとして、“松の枝を結ぶ”という風習が行われていたようです。
二つの歌のうち、左側のものは大伴家持の歌で、その様子が描かれています。
「数々の花は色あせてしまうが、私たちは変わらぬ松の緑にかけて幸せを祈りましょう」という意味でしょうか。
右側の歌は、額田王(ぬかたのおおきみ)のものです。
額田王は、謎に包まれた女性ですが、この歌は、弓削皇子(ゆげのみこ)が額田王に“松の枝”を贈ったことに対する返答の歌といわれています。マツが特別な意味をもっていたのでしょう。 |
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ゴヨウマツ(姫小松) |
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ダイオウマツ(北米原産) |
*ポインターを画面にかざすと変わります。 |
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この二つの歌のうち、右側は有間皇子(ありまのみこ)の歌です。
孝徳天皇の皇子であった彼は、中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)、蘇我赤兄らの謀略によって反逆に誘導され、19歳で絞殺されたといわれています。
この歌は、彼が反逆の罪を問われ藤白(海南市にある)に連行される途中で詠んだということです。磐代(いわしろ)というのは、今の和歌山県南部(みなべ)町あたり。
彼は、ふたたび“松の枝を結んだ”磐代の地に戻ることはできませんでした。
左側の歌は、後年この地を訪れた人が、有間皇子を悼んで詠んだものです。
*歌中の“うれ”とは“末(すえ)”のこと |
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近年はお正月に門松を飾る家がめっきり少なくなりましたが、「松・竹・梅」という言葉は今も連綿と使い続けられ、マツの存在は大きいものがあります。
一方で、全国のマツ枯れが進んでいます。マツを害する線虫が原因とされていますが、そもそも地球の温暖化がマツの抵抗力を奪っている結果だと言われだしています。氷河期や温暖期を乗り越えてきたマツですが、現在の急激な変動には適応しきれないようです。
マツと人類は温暖化を生き延びる上で一連托生の関係に。人もマツも共に常盤に栄えるよう祈ります。
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