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2009年10月2日掲載
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奈良時代の天皇から一般の人びとまでの歌を集めた万葉集。
これに歌われた植物を万葉植物と呼んでいます。 鑑賞用から実用的なもの、現在では雑草とされるものまでさまざま。 私たちが住む東大阪でも見られる万葉植物を順にご紹介します。 一般に“萬葉集”の文字ですが、ここでは万葉集で表記します。 花の名のひらがなは万葉名、カタカナは現代名です。 |
<レポート:酒野> |
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はちす(蓮) ハス (スイレン科)
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ひ~らいた ひ~らいた なんの花がひ~らいた。 れんげの花が ひ~らいた。という明治時代につくられた遊び歌があります。そこで歌われているのがこの蓮華(れんげ)、すなわちハスの花です。古代には、『はちす』と呼ばれていました。花のあとの花托が蜂の巣に似ているからという説も。
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蓮という言葉で多くの人が思い浮かべるのは、夏に咲く花。けれど、緑の大きい葉もとても美しいものです。葉の表面に無数の細かい毛が生えています。そこに落ちた水は“玉水”になります。
この歌は、「久しぶりに雨がふらないかなぁ、蓮の葉にたまった水が玉のような美しい姿を見るために・・・」と、葉の上の水の玉に思いを寄せています。 |
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花のあと、花の中心部にある花托が成長して緑から茶褐色の「果托」になり、ハチの巣状の穴で実が熟します。冬枯れの蓮は『衰荷(すいか)』と呼ばれ、おもむきがあり、絵にも描かれます。 |
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実はこのハスは、東大阪の日下(くさか)と古代から深い関係がありました。
『古事記』の雄略天皇条に、「日下江の 入江の蓮(はちす) 花蓮(はなはちす) 身の盛り人 羨(とも)しきろかも」
という歌が載っています。日下(くさか)というのは、生駒山の西麓にある地名。歌の大意は、日下の蓮の花のように 美しい盛りの人が羨ましい、というものです。これには深い意味がこめられていました。
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雄略天皇は、ある日、大和の美和河(三輪川)のほとりで、洗濯する美しい娘に出会い、心惹かれます。天皇は、必ず迎えにくるからと告げて立ち去ります。 |
その娘の名は、引田部赤猪子(ひきたべのあかいこ)といい、言いつけを守っていましたが、長い年月が過ぎてしまいます。年老いてしまった赤猪子は、それでもあきらめ切れず、ついに天皇を訪ねます。
すっかり忘れていた天皇も、赤猪子の話を聞いて思い出します。その折に赤猪子が詠ったのがこの一首です。
天皇は赤猪子にわびて、たくさんの品物を贈ったと記されていますが、切ない話ではあります。 |
マウスポインターでふれると花が見られます。
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しかし、この逸話から、古代の日下江は、蓮が咲く場所として広く知られた存在だったことがわかります。当時は、河内湖のほとりの湿原に美しい花が見られたことでしょう。
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この日下江の蓮に近いといわれているのが、府天然記念物に指定されている『枚岡の原始蓮』。大正時代までは湿地に自生していたものが、戦後にアメリカザリガニの食害で絶滅寸前に。地元善根寺(ぜんごんじ)の稲田清吉さんが、これを憂い、自宅の人工池に移植し保護しました。ハスの研究で有名な大賀一郎博士の調査で、『原始蓮』と命名されました。現在も、息子の稲田清治さんによって貴重な遺産が守られています。花は、普通に見られるものより小ぶりで清楚な印象。根茎は細く、食用の蓮根(レンコン)とは異なります。 ※以上の蓮の写真は、稲田家の『枚岡原始蓮』 |
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蓮は、赤や白の東洋種と黄色いアメリカ種があり、世界中の暖地に自生していました。日本では、白亜紀の地層から葉の化石が見つかっています。 俗説に、開花のとき「ポン」と音がするといわれますが、美しい花ならではの伝説です。残念ながら、かの大賀博士は否定されています。さて、真相は?
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蓮は、どの有様にも美しい雰囲気が漂います。そのため、いろいろなところにデザインとして使われています。私は特に寺院の行事でまかれる『散華(さんげ)』の色形やその時の美しい風景が好きです。
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蓮は、多くの古代文明で神聖視されてきました。
仏教でもなくてはならない花ですが、それだけ、蓮には人の心をとらえる不思議な魅力があるのでしょう。 |
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