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2010年2月28日掲載
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写真は、近鉄けいはんな線新石切駅のプラットホームから北方面のショットです。以前、こんもりと茂った森があったのに、最近、森が見当たりません。
おかしいなと思って、望遠カメラでのぞくと、森の消えたあたりに、丘のようなものが見えるではありませんか。がぜん興味をそそられ、確かめてみることにしました。
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新石切駅を真北に進むと、周りの喧騒と切り離されたような静かな町並みがありました。
このあたりは、西石切町といいます。
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木の成長に合わせて、家の塀を改築している様子にも出くわしました。住まい方のポリシーを感じさせてくれます。
さて、初めての町並みをきょろきょろ見ながら、例の丘のような場所を探していると、家と家の間から小高い盛り土のようなものを発見しました。 |
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盛り土は大きな空間を占めていて、家々の裏手にあります。いったい何なのか?ひょっとして・・・という期待感をもちながら、回り込んで近づきました。
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ここまできて、この丘は古墳にちがいないと確信しました。
それにしても、平野部でこれだけ大きな古墳が、民家に隣接しているのを見るのは初めてです。
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ザボンの実がなる家のご主人が、外におられたので、たずねてみました。古墳については、くわしことはわからないが、歴史愛好家は、しばしば訪れるとのことです。
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「最近、古墳の木を切ってもらったおかげで、落ち葉に悩まされることがなくなった」とも語ってくれました。その話で、「なるほど、森が消えたのはこれだったのだ」と納得がいきました。
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しかし、古墳とわかったことで、新たな興味が湧いてきました。
古代の日下江の水際にあったこの古墳の被葬者は、どんな人だったのでしょう。 帰ってから、調べてみると、古墳の名前はわかりました。
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塚山古墳と命名されているようです。しかし、それ以上のことはわかりませんでした。先学の方は、情報をお寄せください。
それにしても、この東大阪、不思議がいっぱいですね。
レポート:楢よしき |
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