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インタビュー そのW
“父の心を受け継いで”
古野英子さん
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篆刻(てんこく)という言葉は、一般に馴染みがない。書や日本画の隅に押してある“印”を落款(らっかん)という。作者を表す印(しるし)だが、この印鑑づくり自体が独立し、芸術に昇華したのが“篆刻”である。小さいながらも、そこに無限の世界が広がる。篆刻にいそしみ、「一筆がき」やクラフト作品の教室を開きながら、書家の父親の遺業を守る退職教職員の女性がいる。そのすがすがしい生き方を知らせたい。 |
敬愛する父は、傲骨の人 |
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古野英子さん(59)は、中小阪町在住。小学校の元教員で、若くに柏原市から東大阪市に転勤、以後、西堤小、藤戸小、枚岡東小、玉串小と東大阪市で長年にわたり勤務した。
英子さんの父親は松永 薫さん。1913年(大正2年)生まれ。白洲と号する書家で、教育者としての仕事のかたわら地元に腰を据えた創作活動を行った。
生家は大和川のほとり、ちょうど大和川付け替工事の基点のあたり。かっては中河内のまんなか、現在は藤井寺市船橋町。江戸時代に建てられたどっしりとした家の構えは、作風にも影響を与えているのだろうか。自身を「大和川の男」と称し、号の白洲もその川の砂にちなむ。 |
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古野英子さん |
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白洲翁の製作風景
(夫の哲夫さん撮影) |
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若いときは、登山、写真、絵画、ピアノに親しむなど開明的であったが、その一方、字は苦手だった。書に進むきっかけは、同僚の先生から「字が下手だ」と言われたことからという。一念発起して、30歳代半ばには日展に入選するまでになる。以来、数々の展覧会に入選し、叙勲を受けている。
幼いころの英子さんの思い出の一つは、父親に「詩吟の会」によく連れて行かれ、キャラメルをもらって辛抱させられたことという。英子さんの父親評は、いつも一本、筋が通った“傲骨”の人
父親を語る英子さんの口調は、誇らしげで情愛に満ちている。しかし、英子さんは、戦後の紙や筆のそろわないとき、それを用意するなど、一貫して内助の功を果たした母親のことを付け加えることを忘れない。 |
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家族で「松永白洲記念館」を守る
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父、白洲翁は2002年(平成14年)、89歳で亡くなり、その遺作は1700点を超える。生前は、数々の個展を開いていたが、死後、白洲の書の愛好家から「今度はいつ見られますか?」「どこに行ったら見られますか?」「元気をもらえる作品を見たい!」という声が出るようになる。その声に押されるかたちで、父の育った屋敷を「松永白洲記念館」とし、作品を展示して、土曜、日曜、月曜に無料開放するようになった。
維持管理は、長男松永 明さんと英子さんはじめ、家族が協力しあっている。英子さんは、父親の死後、早期退職し、東大阪市の自宅と記念館のある藤井寺市を往復する生活を送っている。
旧家の記念館は、重厚なあじわい深い造りで、それだけでも見応えがある。高い天井には、太いはりが黒光りし、先祖の御典医が用いたという薬箪笥(くすりだんす)や、往診に使った駕籠(かご)が今も保存されている。そんな落ち着いた雰囲気の中、白洲が制作に励んだ座敷の壁一面に作品がずらりと飾られている。大小の作品は、あるものは軽妙に舞い、あるものは剛毅に迫りくるが、全体として調和し心安らぐ空間になっている。 |
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来館者でリストラされた傷心の人が、作品と対面し、「元気をもらった」と明るく去ったという。
英子さんやお兄さんと家族にとって開館の労が報われる話だ。
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創作の喜びを受け継いで
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自身は絵や工作が大好きで、子どもたちと図工の時間を楽しんだ英子さん。
遠足のあと、子どもたちに大仏さんの絵を描かせるのに、目から描かせるというユニークな指導で、子どもたちは8枚、10枚と画用紙をつぎ足して仕上げ、その迫力にみんな大満足したというエピソードも。そんな英子さんには、今も、東大阪市の現職の先生から図工指導のアドバイスを求める声があるという。現在、英子さんの才能や人柄を慕って多くの人が集まり、東大阪市や藤井寺市で「一筆がき」やクラフトの教室も開いている。
篆刻では燕安の号をもち、「日本篆刻展」「書芸院展」などで入選を果たす腕前の英子さん。篆刻の道に進むきっかけは、仕事や育児の忙しい最中、「何も考えずに無心に打ち込めるものを」との思いから。しかし、それがなぜ篆刻かというところに訳がある。書家は印を自分で作る人が多いが、英子さんの父親も例外ではなかった。家には父親の印材や道具がどっさりある。それをこっそり借りてまねごとを始めた。
あるとき、作品が父親に見つかり「いつの間にこれ彫ったんや?」といわれたという。それからは、「この摺りは甘い」などと何度か辛口批判をもらった。その後、篆刻の先生に師事するが、父親からの直接の指導はとうとう受けずじまいに。しかし、父親譲りの美的感性を創作活動や、記念館の展示・管理にいかんなく発揮している。
記念館の来訪者との対話を通じ、父との魂の交流を続けながら、英子さんは、創造の喜びを分かち合い、さらにまた自身の創作に励む日々である |
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「白虎」と吉語の「日利」の字 |
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葛の一筆がき |
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クラフト作品の数々 |
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ロマンチックな「とび出すカード」 |
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多目的室にて |
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取材を終えて
記念館の一角にある多目的室は、英子さんの教室でもある。長年の教職経験と才能が生かされているのを感じる。作品を見ると、自分も作ってみたくなることうけあいだ。
記念館周辺は閑静な雰囲気で、江戸時代にタイムスリップしたよう。近くの寺社には白洲翁が石工に彫らせた堂々とした書碑がある。気候のいい土・日・月に訪問されることをお薦めする。その際、あらかじめ連絡をとっておくほうが無難。展示品入れ替等で臨時休館もあるからだ。
楢よしき 通信員 |
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松永白洲記念館
開館曜日 土曜・日曜・月曜
開館時間 午前10時〜午後4時
入館料 無料
休館日 年末・年始・展示入れ替え等、臨時休館あり
所在地 藤井寺市船橋町5−10
駐車場 専用無料駐車場あり
来館に際して、連絡を
Tel 090−4306ー6109 松永 明
Tel 090−6918−8777 古野英子
交通
電車 近鉄道明寺線 柏原南口駅より 徒歩 6分
近鉄大阪線 安堂駅より 徒歩 10分
JR大和路線 柏原駅より 徒歩 18分
自動車西名阪・藤井寺インターから 約 15分
外環状線(170号)新大井橋南から東 約 5分
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