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インタビュー そのX |
“まもなく米寿のボランティアさん” |
蛭田かずゑ さん |
もうすぐ米寿となる女性が今もボランティア活動の現役!使いこんだ愛用の電動ミシンをフル稼動させながら、老人会・特養ホーム・幼稚園・保育所などに出かけ、みんなに元気を分け与えています。
その元気の主は、若江東町在住の蛭田かずゑ(ひるた・かずえ)さん。87歳です。
まわりに世話をしてもらっておかしくない年齢なのに、人のお世話をする側に。みなさんはそんな自分の姿を思い浮かべられますか?蛭田さんの元気の素に迫ります。 |
75歳ごろからボランティア活動へ! |
かずゑさんは、1935年(昭和10年)に名古屋から集団就職で大阪に出てきました。上本町の学生帽の縫製工場に就職し、数年後に若江の工場に移りました。当時の世界は動乱の最中。日本も日中戦争から本格的な第二次大戦へと泥沼にはまりこんでいく時代です。かずゑさんは兵隊が足にまくゲートルや帽子のミシン掛けの仕事に精を出したといいます。それ以来、縫製の仕事ひとすじでした。
12年前に夫が亡くなりましたが、2年間は夫の介護に全力をかたむけました。夫を看取ってから、かずゑさんのボランティア活動が始まりました。かずゑさん75歳のころです。この年齢からボランティア活動とは、身体が丈夫で根っからの働き者のようです。
「じっとしてられへん性分やさかい身体動かして何かしてへんと、日が暮れん」「昔から身体がそうなってんねんねえ」とは本人の弁。つやつやの顔をほころばながら語ります。 |
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蛭田かずゑ さん |
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銭太鼓の手踊りはみごと |
かずゑさんの活動の中心は、「銭太鼓」を使った手踊りを普及すること。四条の家や特養老人ホーム、幼稚園、公民館活動などで、自身が手踊りを披露し、手作りの「銭太鼓」をプレゼントして、みんなで楽しみます。 |
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「ひと山、ふた山、三山越え・・・」と曲にあわせ、銭太鼓を両手に持って、膝や床を軽くとんとん。上下左右にリズムをつけて振ると、しゃんしゃんといい音色。バトントワラーのように宙にくるっと回して持ち替えたり、交差させたりと軽快に見えます。しかし、左右の手の動きが違うので、同時に操るのは至難の技です。
かずゑさんは手元も見ず、笑顔で楽しそうにやってくれます。日々の積み重ねでしょうか。 |
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冴えるミシンの技 |
かずゑさんの「銭太鼓」は、ラップの紙筒を芯にしています。その中には小豆・鈴・五円玉といったものが入っています。それにきれいな布をかけ、両端を絞ってあります。両端にふさやボタンのアクセントがついています。昔とったきねづかで、愛用の電動ミシンが活躍します。かずゑさんの技が冴え渡り、布はピシッと決まっています。もともと「銭太鼓」は民族楽器の一つ。小太鼓のふちに小銭をつけてタンバリンのように打つタイプと、竹筒に銅銭などをいれてそれを打ち鳴らすタイプがあります。かずゑさんは、島根県の竹筒タイプを参考にしたそうです。かずゑさんの作品は、民芸品にもひけをとらないすばらしい出来上がりです。 |
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お手製の銭太鼓とお手玉 |
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長年愛用の電動ミシン |
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各施設には、銭太鼓のほか、お手玉も作って贈ります。銭太鼓といい、お手玉といい、指と手を使い、上半身の適度な運動になるので、お年寄りの機能回復だけでなく、幼い子どもたちには、良いおもちゃとなります。かずゑさんにとっても、手作業・手踊り・リズム運動は元気の秘訣かもしれません。 |
若い気持ちと、喜びを共感する心
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かずゑさんの家は、近所の人たちの寄り合い場になっています。ハワイアンドレスでフラダンスを踊ることも。ふと見ると、整理ダンスの上には大正琴が・・・。「これもやっておられるのですか」という問いかけに、「たまにやります」との返事。何にでも挑戦する若さを感じます。
週に2度来るヘルパーさんは「かえって元気をもらう」と語っているのもうなずけます。 |
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ピンクは似合うかなと
少しはにかむかずゑさんと
娘の喜美子さん |
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大正琴にも挑戦
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取材を終えて
みなさん、70歳や80歳の自分がかくしゃくとしてボランティアをしている姿を想像できたでしょうか。
日頃からラップの芯やお手玉のはぎれをあちこちから集め、みんなにプレゼントするためにせっせとミシンに向かうかずゑさん。かずゑさんの心には喜ぶみんなの顔が浮かんでいるようです。人の喜びを自分の喜びにできる生き方に感銘を覚えます。
部屋の壁には「戒老録」が貼ってありました。「してもらうのは当然と思わぬこと」「喜びを与えること」とありましたが、言葉の戒めよりも、かずゑさんの存在そのものが周りの人々に喜びと元気を与え続けているようです。
野口 通信員 |
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