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インタビュー その\ |
<伝統の手づくり人形> 福井壽美子さん
東大阪に日本人形をつくる有名な工房があるのをご存知ですか?
市内荒川1丁目にある人形工房『松寿(しょうじゅ)』がそれ。公認の「節句人形工芸士」は、全国で70人しかいませんが、ここには4人が在籍しています。 そのうちの一人で、工房に長年勤務し、80歳を超える現在でも、なおかくしゃくとして人形作りに励む女性がいます。元気な生き方から学びたい。
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現役の
「節句人形工芸士」
人形工房『松寿』のスタッフの一人である福井壽美子さん(83歳)は、現役の「節句人形工芸士」です。
週に5日、自転車で15分ほどの自宅から通い、一日に5時間ほど工房で仕事をしています。
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「尾山人形」に心血を注ぐ
展示コーナーの一角にずらりと並べられているのは、江戸情緒豊かな『尾山(おやま)人形』。福井さんの手になるもので、もっとも得意とする分野です。着物のデザイン、布地や柄の組み合わせなど、感性の豊かさだけでなく、和服に対する造詣の深さが必要となります。
尾山人形:言葉の由来には諸説ある。江戸風俗の大
人の女性の人形。 |
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福井壽美子さん |
古典文学・芸能に耽溺の娘時代
幼いころから文学に目覚めました。戦時中、住まいの生野区の防空壕の中に本箱があり、日本名著全集が並んでいたといいます。空襲警報が鳴ると、なんだかわくわくして防空壕にむかいました。お腹がすくと、七輪にナベをかけ、豆を炒り、ぽりぽり口にほおばりながら本の世界にひたったことも。
田舎源氏、平家物語、西鶴、近松等を読んだことが、のちに歌舞伎や文楽の舞台に興味をもつ素地となりました。大阪歌舞伎との出会いは、『尾山人形』をつくる上で、貴重な経験となっているようです。
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先代『松寿』との出会い
現在の人形工房の主宰者は、「節句人形工芸士」で二代目『松寿』の小出康雄さん。『鰹シよし人形』の社長さんでもあります。
初代『松寿』は、母親の小出愛さん。
戦後、福井さんは大阪歌舞伎の魅力にはまり、趣味で 針金や布を集めて、当時流行っていた「さくら人形」を作り始めました。その後、初代『松寿』と出会い、工房で働くことになります。以来、尾山人形、京舞妓、連獅子などを手がけることに。福井さんは「本当に人形が好きでしたから、それがお仕事に結びついて、今日まで来られて幸せなことです」と語ります。
二代目『松寿』の康雄さんは、そんな福井さんをいたわりながら、才能が発揮できるよう気を配っています。
さくら人形:わが国の演劇、風俗に題材をとり、フランス人形の製作法にな
らって全体が布で作られたものの総称。
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二代目『松寿』小出康雄さん |
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好奇心がいっぱい
「商品として落ち度があってはならない」と、出来上がりが気に入らないものは、ばらして一からやり直すという福井さん。
幼い頃から人形を抱いて寝ていた少女は、結婚、母親、職業婦人と歩みながら、文芸、演劇にも興味を持ち続けてきました。
今は、息子のお嫁さんの世話にならず、一人暮らしを楽しんでいます。
古書店に飛び込んで韻文調文学の醍醐味にわくわくしたり、テレビの歌舞伎番組を次々に録画したりしています。事務職の経験から、パソコンもさわれます。 江戸の粋、人情、洒落、そしてその美しさに魅かれ、「それに近づくためには、何でもやってみたい」と、好奇心いっぱいの少女のような福井さんです。
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40年ほど前、流行っていた
「さくら人形」を、見よう見まね
で作った。 |
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好きな事に打ち込んで来られた福井さん。とはいえ、辛いこときびしいこともたくさん乗り越えてこられたにちがいない。今では天職となった人形作り。豊かな感性で、すばらしいものをつくり続けていただきたい。
松よし人形の店舗には、雛人形、市松人形、尾山人形、木目込み人形などたくさんの種類の人形が出荷を待っていた。
中でも、斬新なデザインの立雛が目をひいた。(左の写真) スワロフスキーというクリスタルガラスを5700個ほどちりばめた新製品だという。伝統に新しいアイデアを生かす人形工房の気概を感じた。
http://www.koubou-shouju.com 人形工房 『松寿』
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レポート:野口&楢 |
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