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2011年2月28日掲載
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古くは、河内平野は海や湖の底でした。一方、生駒山西麓は岸辺にあたり、太古からの生活の跡が残されています。
今回、古墳時代に行われたと考えられる『水のまつり(祭祀)』に焦点をあてて取材し、上・下の二回に分けてレポートします。 楢 |
古墳全景 & 墳丘の円筒埴輪 |
心合寺山古墳を訪ねる
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ここに見えるのは、心合寺山古墳です。八尾市北東部の大竹にあり、東大阪市の横小路町(よこしょうじちょう)と接しています。 |
5世紀はじめに築かれたようですが、5世紀といえば、中国の史書に出てくる『倭の五王』の時代です。この古墳が中河内最大の規模(全長約160m)をもつことから、被葬者は、中河内一帯を支配した王(豪族)だと考えられます。 |
墳丘への階段 & 墳丘から見渡す |
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写真でわかるように、今は復元され、古代の雰囲気が味わえる絶好のスポットとなっています。墳丘に上ると河内平野が見渡せます。当時、どんな風景が広がっていたのか、想像するのも楽しみの一つです。
“造り出し”部に謎の埴輪
この古墳の『造り出し』部は、祈りの場所と考えられていて、鳥の埴輪などがみつかっています。ところが、そこから離れた一段低い水際から、ある埴輪が発見されました。
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古墳南側にあるミニチュア模型から
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家に見えるけれど、その構造は・・・ |
発見された埴輪 & くびれ部の谷の形状 |
その埴輪がこれです。古墳西側にある『しおんじやま古墳学習館』にレプリカが展示されています。
これまでの出土では、囲いのある家形埴輪として済まされてきたものです。しかし、研究が進むにつれ、ただの家ではないという見方が浮上してきました。
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水の出入り口らしい構造のあることから、建物の中を水が流れる仕組みになっていることがわかります。
また、この埴輪が“くびれ部”の水際に置かれていることから、古墳の斜面を流れ落ちてくる水を、自然の谷を流れる水にたとえて祀っていると考えられます。
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水の出入り口と思われる一対の穴 |
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建物の入り口 & 水路と見られる床の表現 |
さらに、建物が、厳重に塀で囲まれ、入り口が一つしかないということは、衆人の目の届かない場所で、神聖な儀式を行っていたことをうかがわせます。これらのことから、この埴輪は、王が『水のまつり(祭祀)』をおこなった建物ではないかという見方が強まり、この埴輪を、『導水施設形(どうすいしせつがた)埴輪』と呼ぶようになりました。
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水のまつりの絵・近景&遠景 早川 和子氏画 <学習館にて展示> |
水のまつりとは!?
上の絵は、考古イラストレーターの早川和子氏の作品です。研究成果をもとに『水のまつり』が再現され、リアルなイメージを与えてくれます。小さな埴輪の研究から、王が水にまつわる祭祀を執り行っていたらしいと推定できるところまで明らかになりました。
「水を治めるものは、国を治める」といいますが、ここに眠る王は、建物の中で“水をまつる儀式”ないしは、“みそぎの儀式”をおこなって、権威を高めていたのでしょう。しかし、残念なことに、「ここが水のまつりをしていた場所だ」という決定的な証拠となる遺跡は、まだ周辺から見つかっていないのです。
ところが、この『水のまつり』をおこなったらしい場所が、実は、東大阪市側で見つかっていたのです・・・(続く)
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しおんじやま古墳学習館&館長の福田和浩さん |
心合寺山古墳へは、瓢箪山駅前から山本駅行き近鉄バスに乗り、楽音寺(がくおんじ)で下車、南東へ数分。田園風景の中を歩く。
写真の学習館には、出土状況がわかる展示室や、子どもたちが楽しく活動できるフロアーがある。
八尾市立 しおんじやま古墳学習館
↑
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資料提供:八尾市教育委員会 |
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子どもたちの粘土作品
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古代人に変身! |
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続きを見る (古代『水のまつり」の謎にせまる』(下) 神並・西ノ辻遺跡編) ←クリック
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