2015年4月29日掲載
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ひしだ ・ まさゆき
文楽人形細工師 菱田雅之さん
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グリーンパルのまち歩き 「雅舎」の工房がある建物
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こんにちは!まち歩きの一行を快く迎えてくれたのは、文楽人形細工師菱田雅之さん(53)です。
ここは、吉田駅前にある文楽人形工房・雅舎(がしゃ)。菱田さんは、見学者の質問にも丁寧に答えてくれました。 |
雅舎の中は文楽の世界 A&B |
建物の二階部屋には、文楽人形が飾られ、作業場には作りかけの首(かしら)が置かれています。いきなり文楽の世界に入ったようです。
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菱田さんは、少年のころ近くの吉田三丁目に住み、英田中学校の卒業生です。今、住まいは奈良市ですが、工房「雅舎」は、2008年(H20)に馴染みのあるこの吉田島之内に立ち上げました。
文楽人形工房雅舎←クリック |
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二人の師匠
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父親の菱田宏治さんは文楽人形細工師でした。一方、雅之さん本人は、幼いときから人形遣いに憧れ、父親もそれを望んでいました。ところが、弟子入りするはずの人形遣いの師匠が亡くなり、その道を断念。徳島の人形作りの名工、四世大江巳之助氏のもとへ修業に出ることが決まりました。中学三年のころです。
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工房に飾られている写真
上:四世大江巳之助さん、下:父親の菱田宏治さん(由良宏) |
高校卒業までは父親から制作の基礎を叩き込まれ、卒業と同時に徳島へ。大江師匠のところでは、大阪芸術大学に通いながら内弟子として修業しました。ここでは、テレビ・ラジオ禁止の生活を送ります。大江師匠から、「感情が荒くなるようなものを見るな」と厳命されていたからです。
また、「わしは年がいってるから、一回言ったことを確実に覚えよ」とも言われていました。いかに厳しい修業だったかがうかがい知れます。
二人の師匠の技を受け継いだ菱田さんは、国立文楽劇場座付きの人形細工師を経て独立し、今に至ります。 |
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人形の性根を彫る
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ネムリ目の表現 |
老女形の首 口元の針で着物のそでを留める |
人形作りで一番神経を使うのは首(かしら)です。その表情は、ただきれいなだけでは使い物にならず、表情が固定したものでは役を演じられないといいます。例えばこの老女形(おいおやま)の役の性根は「泣く」にあります。ネムリ目はその表現に欠かせません。 |
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一方、こちらの娘の役の性根は、「天真爛漫」です。好奇心いっぱいの目が表現されています。人形が舞台でどんな役どころを演じるかを考慮して、その役の性根を吹き込むことが大事なようです。 |
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こちらは、口アキ文七。武蔵坊弁慶などの主役級の役に使われるといいます。男性的でたくましい顔立ちながら、口角を下げた半開きの口は、内面の苦悩をも表現します。
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端正な目鼻立ちの首は、検非違使(けんびし)※。大名、武士、鎧武者、商人と幅広い役に使われます。優しさの中に聡明さや意志の強さをあらわしています。
※検非違使=けびいし けんびし(
剣菱)とは文楽独特の読みかえ |
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黒いテープ状のものがクジラのひげ 加減のいいバネになる |
首の内部には、カラクリ細工が施されています。彫刻以外の技術も必要です。それぞれの役に応じた、目、口、眉の微妙な動きを表現するためには、セミクジラのヒゲは欠かせない材料です。 |
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人形浄瑠璃の「裾野を広く」
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文楽を頂点とする人形浄瑠璃は、伝統文化として世に認められています。しかし、菱田さんは、このままではいずれ途絶えてしまうと危機感を抱いています。 |
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教室に通う生徒さん |
工房・雅舎では、本来は門外不出の技術を、あえて伝える教室を開いています。児童生徒に興味を持ってもらえるよう、学校に出向いてワークショップもおこなっています。また、乙女文楽の活動にも理解を示すなど、人形浄瑠璃の世界を広げ、楽しむ人も担い手も増やしたいとの想いで活動しています。 |
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決して敷居は高くない
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グリーンパルのまち歩き一行に語る菱田さん 中甚兵衛ゆかりの川中邸にて |
近世浄瑠璃の祖といわれる近松門左衛門は、当時の庶民から絶大な人気を得ていて、決して敷居の高いものではなかったと菱田さん。
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人形浄瑠璃には、今も、市民に受け入れられる潜在力があると語ります。現に、人形作家の辻村寿三郎さんや劇団四季のライオンキングの演出家、映画のターミネーターの演出家は、みな、文楽から学んでいると指摘します。
人形浄瑠璃が興隆し、国立文楽劇場のあるここ大坂から、新しい創造の息吹が生まれることを期待します。 |
人形の操作を教える菱田さん |
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<動画>文楽人形体験 グリーンパルのまち歩き |
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ルポ:M・川中 楢よしき 校正:駒
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