2015年8月6日掲載
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生駒山麓の河内町にある河内寺廃寺跡 (近鉄奈良線沿線から西に見える) |
河内寺廃寺跡って?
リン子とおじいちゃんの一問一答
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おじいちゃん!かわちでらはいじあとって何のこと? |
飛鳥時代の瓦 埋蔵文化センター所蔵 |
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飛鳥時代、河内国河内郡というのがあって。そのころ建てられたお寺じゃ。東大阪で最も古いお寺の一つといわれているよ。 |
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今ものこってるの? |
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建物はかなり昔に土石流でつぶされたと言われておるが、お寺の跡は、その後もずっと地面の下に眠ってたんじゃよ。地元の人はこの付近を「こんでら」と呼んで言い伝えておる。 |
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第24次発掘現場 |
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つぶれたのにねうちがあるの? |
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昔、仏教が日本に伝わってきたころのようすが知れる大切なもの。だから、国の史跡に指定されてるんじゃ。 |
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ふうんねうちがあるんだ!だれがつくったの? |
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朝鮮半島からやって来た河内氏※といわれておる。大工さんたちも渡ってきたかもしれんのう。ただ、瓦の土は生駒山のものじゃ。 |
※河内直(かわちのあたい)や河内連(かわちのむらじ)の役職についた氏族
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おじさんたち土をほって何を探してるの? |
現地説明会のようす |
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どこに柱が立っていたとか、どんな建物が建っていたかを調べているんじゃ。 |
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つぶれちゃったのにわかるの? |
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わしにはわからんが、歴史を勉強をしてる人にはわかるんじゃ。勉強は大事じゃぞ! |
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近畿大学文芸学部文化・歴史学科(網伸也教授)が
東大阪市地域研究助成金をうけて作成したもの
クリック:全面拡大 |
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ふううん。この絵が昔のようすなの? |
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そうらしい。聖徳太子が建てたといわれる四天王寺さんと同じ建物の配置らしい。 |
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絵だとよくわかるね。 |
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今掘っているところは、来年には史跡公園になって、昔のようすがよくわかるようになるそうだ。 |
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やったあ!私もれきしが好きになりそう。 |
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公園整備計画がしだいに鮮明に
ー鳩まめ倶楽部勉強会ー
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東大阪市教育委員会事務局 文化財課 仲林篤史さん |
鳩まめ倶楽部では、発掘で明らかになったことや、今後の公園整備計画について学ぼうと、勉強会をもちました。教育委員会文化財課に依頼し、講師に仲林篤史さんを派遣してもらいました。仲林さんには発掘現場でもお世話になっています。 |
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仲林さんの話では、従来、塔(とう)と考えられてきた遺構が、実は金堂(こんどう)※であることが判明したとのことです。また、講堂と北側の回廊(かいろう)がつながっている証拠は発見されなかったようです。発掘の喜びと厳しさを見る思いです。
※金堂=本尊を安置するところ。本堂。 |
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憩いの場に (株式会社相互技研 作成のCG画像より) |
文化財課提供資料より 黄色が史跡公園の範囲
クリック:拡大 |
いままでの遺構の調査から、四天王寺(してんのうじ)の三分の二のサイズの四天王寺式伽藍配置(してんのうじしき・がらんはいち)ということがわかったようです。
史跡公園の範囲は、金堂、講堂、東回廊の一部があった部分を含みます。
整備計画では、東側に階段ベンチ、日陰棚(パーゴラ)、水飲み場、植栽を配置し、訪れた人の憩いの場となります。
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史跡として、金堂、講堂、回廊の基壇(きだん)※を復元し、金堂の礎石は本物に触れることができるようになります。
また、案内板も設置され、「河内寺」の歴史を学んだり、往時のようすに想いをはせることができます。今年の4月から整備にかかっており、来年度事業で完成をめざします。
※基壇:建物の基礎・土台となる部分 |
金堂の基壇※の復元予想図 |
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コンピューターグラフィック(CG)の金堂復元図 (株式会社相互技研 作成画像より) |
勉強会では、さまざまな質問に答えてもらいました。その中で要望が出されました。金堂などのCGや音声ガイドが、スマートホンやタブレットをかざすと視聴できる設備がほしいというもの。最近、バーチャルリアリティーの技術が進んでいます。実現できるといいですね。 |
鳩まめ倶楽部の学習会 |
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史跡へのルート表示はまだ設置されていません。まず、縄手北中学をめざしてください。表記の地図はおよその位置です。 |
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<動画> 河内寺廃寺跡 発掘現場(第24次) |
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<動画>河内寺廃寺 鳩まめ勉強会 |
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ルポ:楢よしき 協力:東大阪市教育委員会文化財課 校正:駒 |
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