今どうなってるの?!東大阪
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 2017年1月18日掲載
                                   
 
 
 今回は、とても珍しい職業の職人さんに登場してもらいます。茅葺
(かやぶき)屋根
はみなさんご存知で、知らない方はおられないでしょう。しかし、その屋根を葺く“茅葺
職人さん”のことはあまりご存知ないのでは?かく言う私もまったく認識がありません
でした。中甚兵衛ゆかりの川中邸の屋根修復の様子を見せていただいて、初めて
その存在を認識しました。東大阪に住まわれていて、東大阪ばかりか全国的に仕事
され、伊勢神宮の式年遷宮にも携わっておられる六代目職人一家を取材しました。

 

   
                    目次
 
                   
①茅葺職人さんとの出会い←ジャンプ
②「紀州屋根家」がルーツの職人一家←ジャンプ
「手は抜かない」が信条←ジャンプ
④茅葺を愛する画家よりエール←ジャンプ
⑤茅葺こぼれ話←ジャンプ

            

   
   かやぶき           
 
①茅葺職人さんとの出会い
ン工 



東大阪の茅葺屋根の家   アマチュア画家 甲斐寿夫氏作    ぶらり散歩道シリーズより

 茅葺屋根(かやぶきやね)の見える風景は、なぜか郷愁をそそります。それもそのはず、人間が洞窟生活から脱し竪穴住居に住むようになった太古から、すでに茅葺がおこなわれていました。わが町東大阪にも古民家の茅葺が点々と残され、画家やカメラマンの絵心を惹きつけています。
甲斐寿夫氏作 (二作品)


川中邸での作業
 先日、中甚兵衛ゆかりの川中邸で屋根の葺き替えがありました。その取材の折、茅葺職人さんと出会いました。会社は、なんと地元吉田に!東大阪に茅葺職人さんがおられるというのは初耳です。しかも、地元をはじめ全国で仕事されているとのこと。さっそくお話を聞かせてもらうことにしました。       

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      ②「紀州屋根屋」がルーツの職人一家



            大西康純さん  大西康之さん   施主さん      大西謙之さん  高田家 鳥取県文化財

合同会社大西茅葺  大西謙之代表


 会社の名前は「合同会社 大西茅葺」。吉田1丁目にありました。代表の大西謙之(よしゆき)さんに伺いました。大西さんは弟の康純さんとともに6代目にあたります。
 
初代・大西源兵衛は紀州柱本地区(現和歌山県橋本市柱本)の茅葺職人。この柱本はかつて、「紀州屋根屋」と称する独特の技法を持った職人の里として知られます。

 農閑期に村の男たちは組に分かれ、岩湧山(いわわきさん)などで刈った山茅(やまがや=すすき)を携えて、紀州・河内・和泉・摂津・大和・山城の畿内はもちろんのこと、伊勢・播磨にまで出張して、茅葺の仕事をしていました。
柱本の棚田

黄綬褒章受賞記念
 謙之さんの父親で、5代目故大西康之(本名正信)さんも、その一人でした。5代目は主に、今の東大阪市域の仕事を請け負っていました。現在のように車で移動できない時代でしたから、宿をとったり施主の家に泊まりながらの仕事だったようです。結局、移動のロスを考え、東大阪に定住する道を選びました。その後、着々と仕事を進め、伊勢神宮の式年遷宮での奉仕の仕事もされるようになりました。この間、府・文部省の表彰や、多数の文化関係の感謝状を受け、1999年(平成11年)には黄綬褒章を受賞されています。
 

 6代目謙之さんに「どんな父親でしたか」とたずねたところ、「作業中は休憩などはさせてもらえなかった」とのこと。5代目の口癖は「やね屋になれ、まね家になるな」だったそうです。仕事に妥協を許さない根っからの職人気質の人だったようです。一方、18歳から修行に入るものの最初は乗り気でなかった謙之さん。しかし、25歳のときに転機が訪れます。

復元竪穴式住居   埋蔵文化財センター



鴻池新田会所 朝日社 
 見習いとして、父親が参加する第61回伊勢神宮式年遷宮の仕事に加わりました。ここで、茅葺職人たちが誇りをかけて働く姿に接し、本物の職人の凄さを実感。謙之さんは30代前半で一本立ち。今回の第62回伊勢神宮式年遷宮では、46歳にして何人かの職人さんを教える立場になりました。
伊勢神宮式年遷宮=原則として20年ごとに内宮と外宮の社殿を作り変えて御神体を遷します。
  第61回は1993年(H5年)、第62回は2013年(H25年)におこなわれました。

      大西謙之さん           余宮祥平さん      会社倉庫の前で
 後継者不足がいわれる昨今ですが、一家では心強い後継者が育ちつつあるようです。謙之さんの姉の長男で、甥っ子にあたる余宮祥平さんにお会いできました。2012年(平成24年)から修業に入っています。
  祥平さんは、小さい頃から屋根に登り、この仕事に抵抗はなかったそうです。しかし、見ていたのと実際の仕事とは大違い。叔父二人から「『仕事をやらせてもらっている』という心構えを忘れるな」との戒めを胸に頑張っています。
 7代目として一本立ちする日が待たれます。

仕事中の余宮祥平さん
 
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③「手は抜かない」が信条 


鳥取県  福田家   国指定重要文化財
 謙之さんは、会社の人手を増やしたり、大きくしたりする気はまったく無いといいます。手を抜かずやるには親方は一人で十分。気心の知れた仲間で丁寧に作業をすすめてこそ完成度が高まる、という信条です。
改修中の坪川家 福井県 国指定重要文化財

完成後の坪川家 源頼政の子孫と伝わる
 冬は吹きっさらし、夏は2リットルのペットボトルの水が全部汗になるほどのカンカラ干し。おまけに危険な仕事です。しかし謙之さんは完成時の達成感がたまらないといいます。5代目の職人気質が、6代目の謙之さん康純さん、そして7代目修行中の余宮祥平さんに受け継がれているようです。

写真は大西茅葺提供

合同会社 大西茅葺 マピオン情報 ←クリック

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④茅葺を愛する画家よりエール 


画家の 山田宗輔さん    八尾市高安のアトリエから

 茅葺屋根を愛して止まない方が八尾におられます。日本美術家連盟会員の画家・山田宗輔(そうすけ)さんがその人。

山田宗輔さんの作品
 アトリエにお邪魔して話を伺いました。部屋には茅葺屋根をモチーフにした絵をはじめ、仏像画など沢山の作品が置かれています。山田さんは16歳から絵の道に進み、文部科学大臣奨励賞を受賞するなど輝かしい画歴の持ち主。



   個展の紹介記事←クリック
 山田さんは、茅葺家屋をモチーフにした絵を、6,000点を悠に超えるほど描いています。そのわけをたずねました。
  
 あるとき、茅葺屋根の風景を描いていて、村落の人と対話になりました。
 その人は、「茅葺の家には子、孫まで一緒に住んでいる」と、大家族で暮らしていることを誇らし気に語られたそうです。その言葉に感銘を受けました。

膨大なスケッチの一部
 昔からの生き方が茅葺屋根に宿っていて、山里の風景とあいまって日本の原風景となっていることを知らされました。山田さんは、それ以来、茅葺のある風景を描かずにはおれなくなりました。


「茅葺民家のふるさと」  写真クリック:拡大
  田舎へ描きにゆくと、たくあんとお茶の接待を受けたりします。その人情が心に染みるそうです。山田さんは、茅葺屋根を描くとき、そんな生活感・空気感を大切にして創作に励んでおられます。

 東大阪の茅葺職人さんの話をすると、「私自身も職人だと思っている、手を抜かないということは難しいけれど、貫いてほしい」「伝統の技を次世代につなげて欲しい」と、激励のエールが送られました。 

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⑤茅葺こぼれ話


河内長野市 岩湧山の茅場   &   青森県つがる市 岩木川河川敷のヨシ原


 茅葺の材料の茅には大きくわけて二種類があります。山茅と呼ばれるススキ(薄)と、浜茅と呼ばれるヨシ(葦)です。茅葺職人さんは材料を調達するのも仕事の内。河内長野の岩湧山では、茅葺が廃(すた)れないよう、茅場保全のボランティアが活躍されています。また、茅葺用の特殊な道具を作る職人さんも大切な存在です。
ボランティアによる茅狩り (岩湧山)


抜き出し(カラス)

大ばさみ    小ばさみ

板ごて       くわ

オランダの茅葺ニュータウン  茅葺@LONDON ホームページ
 ところで、茅葺と聞けば日本独特のものという捉え方が多いようです。しかし、茅葺の家屋は世界中に存在します。

        イギリスの茅葺職人さん   
     宇藤カザンのシャンソン日記 ホームページ
 上の写真は、新築の茅葺き住宅が建ち並ぶオランダのニュータウンの風景。ヨーロッパでは、家を茅葺きにするというのはある種のステータスになっています。日本でも若者が古民家にあこがれ、田舎に移住する I(アイ)ターンが増えているとか。
 古民家保存のレベルを超え、究極のエコといわれる茅葺家屋が一転して普及するかもしれません。そのとき、代々伝えられた日本の伝統技法が世界で脚光を浴びることでしょう。
 
    ルポ M・川中 楢よしき  校正:駒 

 
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