今どうなってるの?!東大阪
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 2017年7月10日掲載
2017年8月17日追加
                                   
                     
 7月1日、待ちに待った河内寺廃寺跡の史跡公園化が実現。どーなってる東
大阪も注目してきましたが、いよいよ一般開放が始まりました。
 この日は、記念式典と現地見学会がおこなわれました。地上部のない遺構を
調査・整備したものですが、創建当時のイメージを知れる工夫がされています。
 タブレットやスマホをかざすと、古代寺院が目の前に現れます。体験した人々
は、バーチャル体験に驚きの声を上げていました。 


                     
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 史跡公園として整備完了←ジャンプ
  ユーチューブ 河内寺廃寺跡 史跡公園に!←ジャンプ
 バーチャル体験のゾーンに←ジャンプ
   ユーチューブ 河内寺360度動画←ジャンプ
 「河内寺」に思いをはせる←ジャンプ
   ユーチューブ 公開に寄せてインタビュー←ジャンプ

   
              
 史跡公園として整備完了!
 



位置を示す クリック:拡大
 国史跡に指定されている河内寺廃寺跡が史跡公園として整備。7月1日、一般公開が開始されました。同日、それを記念し式典と現地見学会がおこなわれました。

   当日の様子はユーチューブで←ジャンプ

近畿大学文芸学部 文化・歴史学科制作
平成26年度東大阪市地域研究助成金対象事業
 東大阪で国史跡に指定されているのは、日下貝塚、鴻池新田会所に次ぎ、この河内寺廃寺跡が3件目。
 我が国の仏教興隆期の姿を知ることのできる貴重な遺跡です。伽藍配置
(がらんはいち)は、四天王寺式といわれ、その規模は、四天王寺のおよそ3分の2といわれます。
 7世紀中ごろの飛鳥時代の創建とされますが、盛衰を経たのち鎌倉時代に山麓で発生した土石流に飲み込まれてしまいます。地元の人たちは、ここに「こんでら」があったと代々言い伝えてきました。発掘により、永く土の中に眠っていた遺跡が日の目をみることになりました。
 式典には、地元の方や歴史が好きな方々が詰めかけました。会場には発掘品の一部が展示されており、「河内寺」の存在が生々しく感じられました。 
 式典のあと、現地見学会を実施。調査と整備にあたった市の教育委員会文化財課から説明がありました。この遺跡は、地上部が完全に消失しています。それを補うように、バーチャル映像で往時の雰囲気を味わえる工夫がされていました。

<ユーチューブ>
 河内寺廃寺跡 史跡公園に!



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 バーチャル体験のゾーンに



数ヵ所に設置された案内版
 会場には数ヵ所、バーチャル体験用の案内板が設置されています。タブレットやスマホでQRコードを読み取ると、発掘調査の様子を知ることができます。
 圧巻は、往時の復元イメージが360度体感できること。「こんなお寺だったのか」と、みなさん感動されていました。


立体視できる
 東大阪のある企業が開発したアイテム(VRヘッドセット)も評判を呼んでいました。スマホで立体視できるものです。自分の目の前に古代寺院の姿が広がります。体験した人は興奮気味です。

こんな映像も(イメージ)
 “スマホは持たない”という方もおられますが、持たれている家族、友人と一緒に訪れてみてはいかがでしょう。心も身体も、いにしえの飛鳥時代にタイムスリップすることでしょう。

 

東大阪市制作

<ユーチューブ>
 河内寺廃寺跡 360度動画<金堂編> 
※このブラウザでは360度動画の再生はサポートされていません。




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 「河内寺」に思いをはせる



ウィキペディアより  遣唐使船想像図

遠山美都男著『白村江 古代東アジア大戦の謎』
   講談社現代新書 表紙 中川恵司氏作
 我が国に仏教が伝えられたのが6世紀。宗教対立もありながら7世紀初頭には聖徳太子建立と伝えられる四天王寺(官寺として最初の寺院)が完成。そこから寺院建設の興隆期となります。この時期は、東アジアの動乱の時期でもありました。

河内国の一部(現東大阪市域) クリック:拡大
「河内寺」が創建されたのはその寺院興隆期。河内直(かわちのあたい)という氏族の氏寺として建てられました。この一族は、百済からの渡来系で、河内国河内郡の大領(地方長官にあたる)に任じられていました。
 この場所は、河内湖沿いの街道と、奈良への生駒越えの街道が交差。また、水運に便利な位置にあり、河内郡衙
(ぐんが・郡の役所)も置かれていたようです。まさに河内のなかの河内です。

素弁八葉蓮華紋 軒丸瓦   埋蔵文化財センター提供
 今回の史跡公園の完成で、東大阪の宝物が一つ増えることになりました。これを契機に、東大阪の古代の姿にスポットライトがあたります。
 東大阪市域の歴史の理解が一層進むことが期待されます。
<投稿> 河内寺廃寺に案内表示の充実とトイレの設置を 佐沢 2017年8月16日

 「国史跡に指定されている河内寺廃寺跡が史跡公園として整備。7月1日、一般公開が開始されました。」との記事を読み興味を持って現地を訪れました。ところが・・・、現地に行くまでの案内が見当たらず、近くの人に聞いても怪訝な顔をされ、現地にはトイレもなく、整備全体が予算の関係か突貫工事で済ませたような感じがしました。(もしかすればまだまだ整備が続くのでしょうか。)このような素晴らしい歴史遺産こそ、東大阪市として、案内表示などの情報提供を充実させるなどの措置を取って頂きたいし、やっぱりトイレは設置してほしいですね。
   
どーなってる東大阪 過去の関連記事
              <関連記事①> 河内寺廃寺跡 史跡公園化進む←クリック
            <関連記事②> 幻の古代寺院「河内寺」前編←クリック
            <関連記事③> 幻の古代寺院「河内寺」後編←クリック


<ユーチューブ>
一般公開に寄せて
インタビュー

 現場で、教育委員会文化財課の仲林篤史さんと、郷土史家の杉山三記雄さんに、史跡公園開設についてお話を伺いました。

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ルポ 楢よしき   校正:駒 

 
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