今どうなってるの?!東大阪
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20115年10月15日掲載





 
 
“人生いくつになっても学び続けるべし” というのは生涯学習の教えです。超高齢化社会にな
った今、まさに私たちの生き方が問われています。今回の元気の素では、そのお手本となる方に
登場してもらいます。
 その方は、先日の東大阪市秋季公募美術展で出会った
下河邉糸江(しもこうべいとえ)さん。
 なんと、80歳から油絵を描き始め、今も制作意欲満々の93歳の女性です。元気にあやかりた
いと、ご自宅を訪問しました。
                
                 
関連記事:第49回東大阪市秋季公募美術展←クリック
                              
                         ※文中の絵画の写真は技術上実物とは相違があります。

東大阪市秋季公募美術展に出品された 下河邉糸江(しもこうべいとえ)さん(93歳)

 先月の末、第49回東大阪市秋季公募美術展が開催されました。
 その取材の折、美術協会会長の甲村邦雄さんから、「ぜひ観て欲しい」と、ある絵を紹介されました。

甲村会長と歓談する 下河邉さんと嫁の美都里さん

下河邉さんの作品  「世界の富士・日本の里」
 赤富士にのどかな湖畔の風景。力強さとメルヘンの楽しさあふれる絵です。
 ところが、その絵の作者が会場に見えられました。
 なんと、93歳の
下河邉糸江(しもこうべいとえ)さん。この絵は、知人のお宅の新築祝いに描かれたそうです。描きたいことが沢山あると、創作意欲満々の下河邉さんと、次男の嫁で絵画教室を主宰する美都里さんに取材を申し込みました。
 

 10月6日、瓜生堂のご自宅への訪問が実現しました。


油絵をはじめたきっかけとは


 快く迎えてくださったお二人に、糸江さんが絵を描き始められたいきさつを伺いました。
 10年ほど前、長年連れ添ってこられた夫、淳
(きよし)さんを亡くし、糸江さんは失意の中にありました。
 
 

美術協会会員で、「アトリエさんく」を主宰する美都里さん
 
 嫁の美都里(みどり)さんは、糸江さんに元気になってほしと思案をめぐらします。四天王寺大学の陶芸講座へいっしょに一年間ほど通いました。そのとき美都里さんは、「御母さんは、ものを造ったり描いたりするのは得意だ」と、確信したそうです。



生まれて始めての「静物画」  クリック:拡大

 その後、美都里さんは、糸江さんには何も言わず、目に付くところにキャンバスを立て、油絵具の画材や静物画用の野菜や果物を置きました。
 しばらくして糸江さんは、嫁の心を察して手に筆をもったそうです。
 美都里さんは専門的なことは一切言わず良いところをほめました。
 
 
 油絵についての知識のなかった糸江さんですが
人生最初の油絵への挑戦に、「われながら良く描けた」と満足しました。ことに、カボチャのつるのあたりをうまく表現できた自信が、油絵の道に踏み出すきっかけとなりました。

 
絵が語るふるさとへの想い
 


「幼き日 故郷の夕焼け」
 一階の居間には、糸江さんの大きな号の作品が所狭しと置かれ、欄間には賞状がずらりと並んでいます。ねんりんピックの美術部門やアマチュア展などで受賞されたものです。最初の作品から10年以上、糸江さんと油絵は切っても切れない関係となりました。作品はどれもやさしくほっこりとした雰囲気をもっています。
 

※厚生労働省主催の全国健康福祉祭の愛称。高齢者の活躍を促進するため各県持ち回りで開催。

「大正の子・日本の子」  クリック:拡大

「忘れがたし故郷」  クリック:拡大
 拝見した絵から、糸江さんの愛してやまないふるさとへの想いの深さが読み取れます。生家は鳥取県。前に日本海が広がり、後ろに大山がそびえて見える村でした。
 大自然の中で遊んで過ごす子どもたちののどかな風景が印象的。糸江さんが今なお純真な
「童心」を失っておられないことがわかります。

苦労を感じさせぬおおらかさ

 
 しかし、この絵の雰囲気とは裏腹に、糸江さんご自身の人生は波乱万丈だったようです。上の絵に描かれている橋にまつわる、人生を転換させた出来事がありました。成長した糸江さんと母親は、結納を届ける一団が橋を渡るのを見ながら、「どこの家に行くんだろう」と話していました。ところが、その一団は自分の家にやってきたといいます。



「忘れがたし故郷」の一部

 このとき、糸江さんはひじょうに動転して、大阪十三に住む姉を頼って家を飛び出しました。 
 
 その後、京都の名家、下河邉(しもこうべ)家の御曹司の(きよし)さんに見初められます。大阪へ通っていた淳さんは、国鉄大阪駅で働いていた糸江さんをずっと意識されていたようです。会えば挨拶するだけの関係が6年続き、ついに淳さんは行動に移します。ガードの固い母親を説得し、平安神宮で結婚式をあげました。糸江さん本人は無我夢中でしたが、周りは玉の輿と騒いだようです。ところが、そんな下河邉家がのちに大きな災難に遭います。悪い人間に家屋敷を奪われてしまったのです。

 しかし、東大阪に引っ越してきた一家に暗さはありませんでした。何でも「さよか」と公家口調で柳に風の淳さん。「長屋は気楽やなあ」と言い、二人の息子たちを山や川に連れていくのが喜びでした。
 一つ馴染めなかったのが銭湯で、始めは“たらい”で済ませていたそうです。そんな純粋無垢なご主人に精一杯の真心で尽くした糸江さん。身を粉にして働きました。

「凧たこあがれ!」  クリック:拡大
 そんな中でも地域の婦人会や子供会の役からは逃げませんでした。一生懸命やって悔いはないと振り返る糸江さん。


「母なる木 千年の杉」  クリック:拡大
 嫁の美都里さんは、「御母さんが人生で余裕が出てきたのは、御父さんが亡くなられてからです」と、明かします。糸江さんにとって油絵との出会いは、人生の第二の出発という意味をもっています。
 絵の作風はほほ笑ましく、ていねいに描き込まれています。人や生き物への思いやりの深さも感じます。ご主人と育んでこられた下河邉家のおおらかな雰囲気が絵にあらわれているようです。
 糸江さんは、車や列車で移動するときも、じっと風景を見続けています。美都里さんは、「私が居眠りしているときでも、御母さんはずっと外を見ておられます」と、その集中力に脱帽の弁を語ります。
 ベッドの横にキャンバスを立て、四六時中絵を愛しむように描く糸江さん。その創作活動は、これからも進化を続けます。

「空を旅して 『おお富士山!』」 クリック:拡大
 終始笑いが絶えない対談で、つい取材を忘れて撮るべき写真も失念してしまうほど。初めて訪問したと思えないぐらい温かく包んでいただきました。


嫁の美都里さんと 下河邉糸江さん
 
  糸江さんが過ごされた激動の年月。酸いも甘いも、今となってはすべてメルヘンのような思い出に変えられている心の強さ・優しさが印象に残る取材でした。
                   ルポ:楢よしき   校正:駒たん K・東野

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