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2019年5月5日掲載 |
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本町在住の写真家・荒木康徳(やすのり)さんのシリーズは第2回目とな
ります。今回は、インドネシアのロンボク島とジャワ島です。インドネシアとは
これからますますお付き合いが深くなるようです。去年の大阪在留外国人調
べでは、東大阪市に124名の方が居住されています。
このシリーズが、多様な東南アジアの暮らしぶりとそこに住む人々を知る機
会となれば幸いです。
どーなってる東大阪編集部
index
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はじめに アパ カバール(お元気ですか)
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ジョグジャカルタとロンボク島を示す |
インドネシア共和国 エンブレム(国章) |
みなさんこんにちは!インド
ネシア共和国編の第2回目
です。今回は、ロンボク島モン
トンとジャワ島のジョグジャカル
タです。対照的な小さな漁村
の町と、大きな古都の街をご
紹介します。
フォトグラファー荒木康徳 |
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バリ島の東に位置するのが
ロンボク島。バリからフェリー
便があります。簡単に渡った
海峡ですが、実はアジア圏と
オーストラリア圏をまたいだこ
とになります。生物の生態系
を分けるウオーレス線が島と
島の間に通っているのです。
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モントンの漁師達 |
子どもたちの遊び場は海辺 |
とはいっても、私には実感が
ありませんでしたが・・・。
私が向かったのは、リゾート
地ではなく、小さな漁村の町
モントンです。ここのレッサー
ホームステイに一週間ほど滞
在しました。宿屋の奥さんは
日本人でした。宿代は朝食つ
きで15万ルピアから20万ル
ピア。数字を見て驚かれるか
も知れませんが、数字のゼロ
を二つ取ったぐらいが日本円
の相場です。
2000円までの宿が私にと
ってのベストステイです。
朝はスピーカーから流され
る大音響のコーランから始ま
ります。ガムランが鳴り響く
隣のバリ島とはまったく違っ
た雰囲気を味わえます。
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海辺でくつろぐ家族 |
宿から5分で海辺に出ます。
観光客は少なく、落ち着いて
います。ここモントンは夕日が
きれいなところ。心が癒される
こと請け合いです。それととも
に、町の人々のフレンドリーな
笑顔が忘れられません。リゾ
ート地の専用ビーチでは得ら
れないものです。
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少年たちが飲んでいるのは
ココヤシの水。椰子(ヤシ)の
木はいたるところに生えてい
ます。するするっと木に登り
実をとってなたで切るのは、子
どもたちにとって日常茶飯事。
そういえば、私の子ども時代
も、柿の木に登って実をもいだ
記憶が甦ります。子どもがたく
ましく生きた時代でした。モント
ンの子どもたちは、家の中には
いません。あちこちで遊んでい
るのを見かけます。そして人懐
っこい笑顔を向けてくれます。
これもまた日本から消えてし
まった光景です。 |
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馬車も立派な交通手段 |
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島内を移動するときは自転
車だけでなく、乗り合いバスも
利用します。乗り合いバスは
決まったバス亭はなく、手を
あげて合図します。決まった
ルートがあるわけでなく、大
概は市場方面に向います。
料金は日本円で50円ほど。
日本人にとってはアバウト
すぎるかも知れません。
この違いこそ刺激的でスリ
リングな体験です。
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パサール クボンロエ |
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モントンでは多くの人々
と触れあい、シャッターを切
りました。それから数年して
このロンボク島に幾度もの
災害がおきました。直近は
今年3月中旬のマグ二チュ
ード5.5の大地震。おおら
かに暮らす人々を襲った災
難に心が痛みます。
それとともに、同じ環太平
洋火山帯に属するわたした
ち日本も、人ごとで済まして
はならないと感じます。
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ロンボク島からバリ島に戻り、そ
こからフェリーで西のジャワ島に
渡ります。バスでまる一日かかっ
て着いたのがジョグジャカルタ。
通称ジョグジャです。共和国の中
にあって王室が認められた特別
州となっています。 |
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ポロブドゥール遺跡の朝
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現在はイスラム教徒が大半
を占めるジョグジャですが、穏
健イスラム思想によって仏教
遺跡やヒンズー寺院が大事に
保存されています。仏教遺跡
で有名なのがボロブドゥール。
私は、遺跡の中にあるマノハ
ラホテルに宿をとりました。ここ
はお勧めです。遺跡に出入り自
由です。神秘的な日の出を見る
ツアーに参加してください。
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プランバナン寺院群 |
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ここは、ヒンズー教のプラン
バナン寺院です。寺院群のレ
リーフの見事さに目を見張り
ます。これら二つの観光地
は世界文化資産に登録され
ています。インドネシアを旅
行するなら見逃せない場所
です。
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ジョグジャの繁華街 |
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ここをめざして多くの人がや
ってきます。プチホテルには、
バックパッカーと呼ばれる20
歳代の若者が一人、あるいは
カップルで泊まっています。ツ
アー旅行客の多い日本人とは
対照的。
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インドネシアの庶民生活では
外食が普通です。外で買ってき
て家で食べるので、キッチンや
冷蔵庫がそもそもいりません。
私がいつも食べるのはナシゴ
レン(飯)やミーゴレン(麺)それに
チャプチャイ(八宝菜風)。安くてお
なかいっぱいになります。
舌でもインドネシアを楽しん
でください。ではまた! |
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プロフィール
フォトグラファー 荒木康徳
日本広告写真家協会会員
東大阪市本町在住
1948年(S23)生まれ。縄手北小
学校、縄手中学校、花園高校を経て、
現在の東京工芸大学、当時の東京
写真大学短期大学部卒。
大日本印刷に就職 東京市谷にあ
る企画部写真撮影部門の仕事に従事。
60歳を機に退職し、長年の夢だっ
た東南アジアの旅行を実現。
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写真・文荒木康徳 聞取り:F村上、楢よしき 編集:楢よしき 校正:駒
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