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2020年9月3日掲載 |
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東大阪市の西部にある御厨地域は、旧御厨村を中心に周辺に広がって
います。旧村には難波と大和を結ぶ昔の幹線道路の奈良街道が通ってい
ます。その中心地に鎮座するのが御厨天神社。この由緒ある神社で、この
たび屋根などの大修理がおこなわれていると聞きました。
めったに見られない工事の様子をみなさまにお伝えします。
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御厨交差点 |
奈良街道の面影が残る |
写真の交差点、どこだかわ
かりますか。近鉄八戸ノ里
駅から北へ800mほどにあ
る御厨(みくりや)交差点です。
この西側に古い街並みが
残されています。いにしえの
難波と大和を結ぶ奈良街道
を偲ぶことができます。
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古代の想定地図 クリック:拡大 |
古代にはこの地域は、河内
湖の水際にあったと思われま
す。地名「御厨」の厨(くりや)
とは台所のこと。朝廷や神様
に食材を納めるための倉庫や
会所があった地域と表現でき
そうです。このあたりは海と
川の魚介が集まりやすく、ま
た、水陸交通の要衝にあった
のでしょう。 |
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社殿 (2014年当時) |
手前がクロガネモチ 向こうがクスノキ(2014年当時) |
この古い集落の中心に位置す
るのが御厨天神社。正式名は
天神社(あまつかむやしろ)。
古代神・大名持命(おおなむちの
みこと)、少彦名命(すくなひこなのみ
こと)のニ神を祀る、かなりの古
社と考えられます。
東大阪市の天然記念物とな
っている境内のクスノキの古木
は神社の歴史の永さを物語っ
ています。 |
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②御厨天神社 令和の大修理
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屋根修復中の社殿 |
宮司の田原精二さん |
さてこの御厨天神社におい
て屋根を含む修理・修復の
工事がおこなわれています。
令和の大事業となる本格
的な取り組みです。宮司の
田原精二さんは、心血をそ
そいで完成に向けご奮闘さ
れています。この機会に、神
社や御厨の歴史について語
っていただきました。(動画)
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<動画>御厨天神社宮司に伺う
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工事の説明をする田原宮司 |
さて、修理・修復工事の取
材にむかった時は、社殿は
巨大な覆屋(おおいや)に隠れ
ていました。それだけで工事
の規模がわかります。田原
宮司と工事関係者の建築
家飛田太一郎さんに案内し
ていただきました。 |
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拝殿の大屋根 |
銅板葺きの真最中 |
工事用の階段を登り、中に
入らせてもらうと、内部は銅
(あかがね)が光り輝く荘厳な
雰囲気に包まれています。
まさに銅板葺きの真っ最中
でした。
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<動画>御厨神社 令和の大修理
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本殿の屋根は、千鳥破風
(ちどりはふ)と唐破風(からはふ) が組み合わさった優美な姿
を見せています。この角度で
屋根を見られるのは工事中
ならです。本殿は、銅板葺き
の順番を静かに待っている
かのようでした。 |
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本殿の屋根 |
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㈱鳥羽瀬(とばせ)社寺建築
堂宮大工 北岡圭三さん
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この修復工事を請け負うの
が、(株)鳥羽瀬社寺建築。東
大阪の善根寺に本拠を置き
国宝、重要文化財の修復など
を手がける会社です。現場を
指揮する監督、昔風に言えば
棟梁の北岡圭三さんに聞き
ました。全体の工事はまだ続
くが屋根の工事は10月の秋
祭までに完成予定とのこと。
地域氏子のみなさんの喜ぶ
顔が目に浮かびます。
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参道の石畳 |
建築家 飛田太一郎さん |
いい機会を得たと喜んで帰
ろうとしたとき、建築家飛田
さんから、参道の石畳につい
て貴重な話を聞くことができ
ました。石畳は各種の銘石を
集めて敷かれた珍しい造りと
のこと。よく観察すると、た
しかにモザイクのように美し
い石が敷かれています。神社
の新しい見どころの発見です。
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取材:村上 福田 楢
編集:楢 校正:駒 SE:クニヒコ
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