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2020年10月10日掲載 |
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「工場を記録する会」と私たち鳩まめ倶楽部は情報交流をしています。
その代表の岡本好行さんから耳寄りな情報を頂きました。この東大阪に
人情味溢れる会社があるというのです。ベトナムからやってきた人達も多
いとのこと。これからグローバル化する日本では、外国の人達との付き合
いは避けて通れません。どのような会社経営をされているのか興味が湧
き、取材をお願いしました。
index
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清潔感あふれる作業場 |
三島硝子建材株式会社
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訪問したのは、三島硝子
建材株式会社。作業場に
入らせていただいてびっく
り。よく整頓されていて清
潔感あふれる環境です。
会社はサッシメーカー。
商業施設やマンションなど
の玄関・入口部分に使わ
れる「フロントサッシ」がメ
イン。フルオーダー品で、
かなり有名な店舗も手が
け、関西ではトップシェア
を誇ります。 |
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案内いただく 三島圭四郎社長 |
創業50年の会社の、二
代目社長三島圭四郎さん
に案内していただきました。
作業場内にはベトナムか
らの人も見受けます。 |
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工場長の立花史章さん |
工場長に直接にうかがいま
した。サッシはオーダー品で
一つずつ0.1mm単位の精
度が求められるため、神経を
使います。しかし職場の雰囲
気は良く、ベトナムの人とは
コミュニケーションを正確に
とれるよう努力しているとの
こと。みんなやさしく真面目
だと話していただきました。
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多目的ホールのようなスペース |
日本語教室のようす |
3階でまたびっくり。バーカ
ウンターもあり、休憩室という
より多目的ホールです。
食事をとることも出来、ミ
ーテイングも可能です。仮眠
室まで備わっているとは・・・。
ここで日本語教室が行われ
ていると聞いて、やはり普通
の企業とは違いがあると実感
しました。 |
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②二代目社長夫妻の改革
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2010年、先代捷義(かつ
よし)さんから社長を引き継い
だとき、すでにリーマンショッ
クの痛手を受けていました。
圭四郎さんは、自販よりす
ぐ売り上げの上がるメーカー
委託品へと舵を切りました。
当初は利益が上がったもの
の、注文に間に合わすため、
残業続き。辞める人が出てき
ました。
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このときある情報が耳に入ります。「ベトナム人はええぞ
辞めへんし3年間はおるぞ」というもの。さっそく技能実習
生2人を雇おうとしました。しかし、現場から、「3年経った
ら辞めるのに意味がない」と、入社反対の声が起きました。
この時圭四郎さんは、「いつ辞めてもいいような仕事をや
らしたらええやないか」となだめました。そのときは我なが
ら良い案だと思っていたそうです。 |
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しかし、思わぬしっぺ返し
を食らいます。あるとき、社
長夫妻がベトナム人実習生
を誘って食事に出かけたと
き事件が起きました。はじめ
穏やかな食事風景が、途中
から実習生が激しく訴え出し
ます。「ぼくらはバカじゃな
い。いつも怒られるけど、な
んで怒られてるかわからな
い」「教えてくれずに怒るば
かリで仲良くしようともして
くれない」。最後には「教え
る日本人がバカだと、ぼくら
もバカになる」とまで言い放
ちました。 |
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三島硝子建材株式会社 社長三島圭四郎氏 同 取締役三島あゆみ氏 |
圭四郎さんは何とかなだめようとしているとき、隣の妻の
あゆみさんは涙を流して聞いていました。あとでわけを聞
くと、「あの子たちを見送った親たちのことを思うと・・・。」
と、母親の立場で受け止めていたのです。 |
実習生のご家族
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徹夜の時は掃除しながら見
守ってくれる妻の言葉だけに、
圭四郎さんの胸にこたえまし
た。妻のあゆみさんはこれを
機にネイルサロン経営をやめ
会社に入ります。この時から
働く人を大切にする経営へと
夫妻の奮闘と改革が始まりま
した。 |
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屋上での食事会 & 多目的室にて(コロナ前) |
社内で日本語教室 |
あゆみさんは社内で日本
語教室を始めました。また
昼ご飯を作って従業員たち
と一緒に食べる機会を持つ
ようになりました。誕生日会
や豆まきなどの日本の季節
行事など、みんなで楽しみを
分かち合う、細やかな心づか
いが経営に取り入れられて
いきます。 |
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従業員の家族が描いた絵 & みんなの三十三か条 |
会社経営は生やさしいもの
ではないはず、難題が押し寄
せてきたとき経営者と従業員
が一丸となって立ち向かえる
かどうかが問われます。一日
では出来ない信頼関係がもの
を言います。創業社長の「働
く人を大切に想う」大家族主
義の哲学が受け継がれてい
るようにも感じます。
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ベトナムにて① 網戸サッシとりつけ完了 |
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圭四郎さんが、実習生が
ベトナムに帰ってできる仕
事があるのかと心配してい
たとき、ある人から「現地に
行かな実情はわからん」と
いわれその気になったそう
です。実習生が帰るのを追
う形でベトナムに入国しま
した。幸いベトナム商工会
議所で商品を展示する機
会を得たので、通訳代わり
の実習生を連れて行きまし
た。彼の家へのお土産も用
意したそうです。
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ベトナムにて② |
最終日に、通訳をしてくれ
た実習生のお家を訪問しま
した。途中までしか車で行
けないので降りて歩こうとし
たら、実習生のお母さんが
待っていました。
慌てて一キロの道のりを
裸足で駆けてこられたよう
です。
国が違えど母親の愛情は
変わらないものだと胸を熱
くしたそうです。
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ベトナムにて③ |
持参した土産と言うのが網
戸サッシ。実習生の家に窓が
ないと聞いていたからです。
一日の突貫工事で、元実習
生たちも応援に駆けつけてく
れました。実習生の父と母が
村人たちの前で、実に誇らし
気な顔をしているのです。
その姿を見て、「儲けの問
題でなくベトナムでサッシを
やろう」と決めました。
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元実習生たちと会社の名前を何にするか考えました。彼らか
ら三島硝子建材という声があがりました。うれしかったです。
が、現実的ではありません。すると彼らから、頭文字でいき
ますと再提案がでました。結局これで、MGK Frame Works
と決定しました。 |
三島硝子建材の社内 |
法律も業者も未知の現地
で、バイクで駆けずり回る日
々が続きました。創業社長の
苦労がわかったそうです。大
阪の社員たちからは「こっち
は任しといて」と声がかかり
立ち上げに集中できました。
圭四郎さんは奥さんの内助
の功とともに感謝していると
いいます。 |
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現在、現地法人は元実習生たちに切り盛りを任せていま
す。利益はまだまだですと、圭四郎さんは明るく笑います。 |
④東大阪モノづくりの未来
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フレスポ東大阪 モノづくりミュージアムコーナーにて |
三共製作所パネルより |
話は変わって、先日、別の
取材でフレスポ東大阪に行き
ました。ここではモノづくり
ミュージアムのコーナーが
常設されています。その一角
にモノづくりの未来と外国人
労働者と題して、株式会社
三共製作所の展示がされて
います。やはり人材不足によ
り、外国人労働者・実習生を
積極的に受け入れています。
この会社も、三島硝子建材
と同じように、彼らを単なる
ピンチヒッターと見ません。
技術を継承する後継者とし
て育てています。
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三共製作所パネルより |
世界はグローバル化し人権
が尊重される社会へ進化して
います。日本にも古き良き商
業の伝統があります。近江商
人の三方よしや、預かった丁
稚を一人前に育て店をもたせ
るなど、未来でも価値を失わ
ない誇るべきポリシーです。
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三共製作所パネルより |
働く人を儲けの道具のよう
に扱ったり、不況時の安全弁
とみなす企業は、長い目で見
て時代遅れになるでしょう。
東大阪のモノづくりの現場
において、働く人たちを大事
にし後継者をしっかり育てる
会社があることを知りました。
市民として誇りに思い、ま
たそこにモノづくりの未来を
感じます。 |
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<動画>三島硝子建材を訪問
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取材:村上 山口 楢 協力:工場を記録する会
写真提供:三島硝子建材株式会社
編集:楢 校正:駒 SE:クニヒコ
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