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ふるさと東大阪2010年4月16日掲載










※絵は、クリックすれば拡大できます。

津原(つはら)神社
 花園駅から10分ほどにある延喜式内社。奈良時代に、長雨に悩み、神を奉る地を求めて櫛を流したところ、この地に流れ着いたという。江戸時代には、玉串明神ともよばれた。社殿後方に“津原の池”がある。これがご神体であるともいわれる。古代、河内湖のほとりの旧大和川の分流玉串川の河口付近にあり、物流の拠点だったようだ。『市場村』という地名が残されている。 ここから真南600メートルに石の鳥居があり、その道幅広く、『河内の三大馬場』と呼ばれた参道の威容がしのばれる。


貝塚橋詰(かいづかはしづめ)地蔵        
 石の鳥居を少し行くと地蔵堂がある。名前の橋詰は、玉串川橋の付近に建てられた由来を感じさせる。名前に貝塚とつくのは、昔、この場所から貝殻が大量に見つかったからといわれている。この地で、縄文人たちが生活していたことがうかがわれる。
 さて、地蔵尊だが、花崗岩を高さ70センチぐらいの舟形に整え、右手に錫杖をもった50センチほどの地蔵さんが浮き彫りされている。専門家は、その作風などから、室町時代の作と考えている。


玉峰山・極楽寺(ごくらくじ)

 さらに南に行くと極楽寺。創建は貞享二年(西暦1685年)。この年は、ちょうど、犬公方(いぬくぼう)といわれた第5代将軍綱吉の“生類憐(しょうるいあわれ)みの令”が出されたころ。また、鐘楼は、その台石に天明4年(西暦1784年)と刻まれている。前年の天明3年(1783年)、浅間山の噴火と、アイスランドのラキ火山の大噴火が原因で冷害に見舞われ、日本に有史以来の飢饉が襲ったころだ。この頃の庶民の生活はどんなものだったろう。
 境内には、特産品の菊花を供養する“花供養塚”があり、8月には花供養の法要が営まれるという。
 
 八尾の福万寺と接しているこの玉串地区一帯は、菊作りが盛んな『菊の里』。この伝統は古く、大坂夏の陣の戦没者を慰霊するために作り始められたといわれている。現在も、35戸の菊作り農家が活躍する。
 ここから西へ行けば旧若江村、東へ行けば旧池島村。コースを工夫して楽しめる。
 
 右の地図は、教育委員会発行の『東大阪市文化財ガイドマップ』より。クリックすると大きくなります。
ぶらり散歩道 その六
ぶらり散歩道 その五
ぶらり散歩道 その四
ぶらり散歩道 その三
ぶらり散歩道 その二
ぶらり散歩道 その一



<作者について>
  水彩画の提供は、新庄在住の甲斐寿夫(かい ひさお)さん(86歳)。
若いころから絵は好きだったが、鉄鋼関係の仕事に就いて絵の道を断念。退職後に一念発起して、日本画の勉強をはじめる。日本や世界の訪問地のスナップ写真をもとに、絵を描き続けている。大作も手がけ、全体の制作量は膨大なものになる。先だっての第27回春季公募美術展にも出展されている。    
                 絵:クリック拡大

  ※上記の風景画等は甲斐寿夫氏の著作物です。
    本誌が許可を得て掲載しており、無断転載及び無断二次使用を禁じます
                                                  編集部


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